日本における木の文化

和風の長い階段 永平寺

福井県永平寺の回廊

縄文時代、弥生時代から、現代に至るまで、日本人は、様々なかたちで木と関わり、生活してきました。現代は、鉄やコンクリート、プラスチック、セラミックスなど、さまざまな素材が使われる時代ですが、木材は、今なお、建築・土木をはじめ、紙、板紙(ダンボール)、家具などの用途で使われています。日本では古くから適材適所に木材を積極的に利用する「木の文化」を育んできたのです。

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木の文化を育んできた日本

植林と木材に関する日本最古の記録は「日本書紀」にあります。そこには40種類以上もの樹木の記述があり、スサノオノミコトが「スギやクスノキを舟に使い、ヒノキを宮殿に、マキを棺に使うべきだ。そして、木の種を皆でまこう」と木材の適材適所を伝えたとされています。このように、日本人は古くから森林資源を有効に活用し、多様な用途に無駄なく木材を利用する「木の文化」を築いてきました。

縄文時代の遺跡からは、半分に割った丸太を円形に並べたウッドサークルや、住居跡、杭群、水場遺構などが発見されています。また、スギの丸木舟や、トチノキの鉢や盆といった木製品も見つかっており、漆を塗った木器や櫛など、木材の耐久性を高める技術も発達していたことが伺えます。

日本人は、住居や食器、農具、工芸品、燃料、船、神社仏閣、城郭、橋など、数多くのものに木材を利用してきました。木材で作られたものは、その時代の生活様式や文化を象徴する存在でもありました。

この木の文化が発展した背景には、日本が豊かな森林資源に恵まれており、身近に木があったことが大きく関係しています。木材は、石や煉瓦、金属と比べて軽くて丈夫で、加工しやすいという特性を持っています。また、湿度を調節したり、断熱性が高く、独特のぬくもりを感じさせる素材であることも、日本の木の文化を支えてきた要因といえるでしょう。

木の文化を育んできた日本(東京都江東区 平野橋 旧富士見橋)

東京都江東区 平野橋 旧富士見橋

縄文時代の木材利用

日本各地から掘り出される遺跡を調べると、当時の人々は木の種類や性質を使い分けて、上手に利用していたようです。また、食料としてクリやクルミ、トチなどの木の実を利用していたこともわかっています。

出土品使われた樹種
木を切り倒す石斧ヤブツバキ(硬い)
狩りに使う弓カシ(固くてしなる)
木の器トチノキ(削りやすい)
住居カシ、ヒノキ、クリ、シイ
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木材建築技術の向上

鎌倉時代には、中国から「貫工法」という建築技術が取り入れられました。この技術は、柱を貫通させて、木材を固定する方法で、建物の強度を高める効果がありました。また、木材同士を接合する技法として、釘などの金物を一切使用しない「継手(つぎて)」と「仕口(しぐち)」と呼ばれる技術がこの時代に大きく飛躍しました。継手と仕口により、木材を組み合わせる技法は「木組み」と呼ばれています。

日本の木工技術は、細部まで丁寧に仕上げることが特徴です。特に寺社や仏閣は、木組みによる建築が多く見られます。木組みには小屋組みや三重塔木組みなどの種類があり、これによって建物は非常に耐久性が高くなり、日本全国で広まっていきました。その結果、建物の強度が増し、耐震性も向上しました。

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建築物

日本の家屋は、木と土と紙によって造られてきたといわれます。地域や時代によって様式に違いはありますが、伝統的には木材の柱や梁などの骨組みとなる構造を組みあげ、これらで荷重を支える「木造軸組工法」が定着してきました。

法隆寺、東大寺等の世界に誇る木造建築をもつ日本では、重要文化財に指定された建造物の9割は木造であり、このうち国宝に指定された建造物はすべて木造です。

東大寺大仏殿

世界文化遺産に登録されている東大寺の大仏殿は、高さ47.5m、広さは約2,900m2もある世界最大級の木造建築物です。 直径約1m、長さ約30mの丸太を84本も使っています。使われている木材の総量で比較すると、現代の木造住宅の約860戸分に相当します。

東大寺大仏殿の写真

世界最大級の木造建築 東大寺大仏殿

法隆寺

世界最古の木造建築物の法隆寺は、ヒノキで建てられています。1300年以上経った今も建立当時の姿を現代に伝えており、ヒノキの耐久性を長い歴史が証明しています。鉄やコンクリートにはこれほどの耐久性はなく、せいぜい100年程度と言われています。全国各地の寺院の修理・改築を行っている宮大工さんは「1300年経ってもヒノキを削ればよい香りがするし、使うこともできる。」といいます。木は伐られたときに第一の生命を経つことになりますが、建物に使われたときから、第二の生命が宿り、何百年もの長い歳月を生き続ける力を持っているのです。

法隆寺の写真

世界最古の木造建築物 法隆寺

木造住宅

また、一般の建築においても、地域に応じて適材適所に用いることで木の特性を活かしながら、気候や風土、生活習慣に根ざした家屋が造られてきました。各地に残る古い農家や町家には、個性豊かな地域の生活の様子が反映されています。こうした木造家屋は、地域の景観や町並みのシンボルとなっていることも多く、民家の保存、再生等の取組が各地で見られるようになっています。

在来の建築工法で用いられる木材は、柱や天井、床の間等、目に触れる形で使われることが多いため、表面に現れる木目、木材の色、節の有無、杢(もく)と呼ばれる独特の紋様等、見た目の美しさや希少性に対する愛着意識が生まれ、鑑賞価値の高い、いわゆる銘木が珍重されてきました。こうした木材の化粧性を重視する慣習は、木材の取引や評価に大きく影響を与えてきました。

近年、都市化の進行、建築工法の多様化、高層住宅の増加、和室の減少等、住環境をめぐる状況の変化はめまぐるしく、木材の使われ方にも大きな変化が見られますが、木造住宅に対する需要には、依然、根強いものがあります。また、木造の公共施設や地元の木材を使用した住宅づくりなど、改めて木の良さが見直され、木にこだわった建築を進める動きも各地でみられます。

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日用品、道具類

日用品にも木材が使われるものは多くあります。毎日の食事に関係する椀や箸、まな板、容器である樽、桶のほか、机、戸棚等の家具・調度品、下駄、梯子、各種の手工具の柄など枚挙にいとまがありません。

日本での伝統的な木工加工技法には、ろくろを使って椀や鉢をつくる挽物(ひきもの)、板材を組み合わせてつくる指物(さしもの)、ヒノキ、スギ等の薄板を曲げる曲物(まげもの)、のみや小刀で木を彫り盆や皿をつくる刳物(くりもの)があります。 伝統的工芸品に指定された品目の中にも木工品、漆器等が多く含まれており、各地で昔から生活に根ざして製作されてきた実用品に木が上手に使われています。

スポーツ用具や楽器も木材と関係が深くバット、ラケット、ゴルフヘッドや太鼓、木琴、管楽器、琴、琵琶、バイオリン、ピアノ等、木材は様々な姿で活用されています。

こうした木製品には、材の耐水性を活かしたヒノキの風呂、湿気や熱を通しにくく、寸法に狂いを生じにくいキリの箪笥(たんす)、ねばり強いアオダモで作られるバットというように、用途に応じて適した樹種が使われています。

また、目的に応じて木目の向きを使い分けている例に、スギ等の針葉樹から造られる桶と樽の違いが挙げられます。 例えば、すし桶の場合には、米飯の余分な水分を吸湿し、使用後も乾きが早いよう、側面の板に柾目(まさめ)材が用いられます。 柾目材は、丸太の年輪に対し直角方向に、丸太の外側から中心に向けてとられる板で、木目は板の表から裏を貫く向きに平行に並びます。 これに対し、和樽では、湿気や水分を通しにくくするため、丸太の年輪方向に沿って板にされ、木目が曲線状に現れる板目(いため)材が用いられます。

このように、木の使い方には、生活の知恵や食文化につながる工夫も見られます。

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紙製品

木材の大きな用途に、紙がある。紙は、原料の植物繊維をたたきほぐすなどして、水に分散させたパルプを漉きあげ、乾かして作るもので、中国で発明され、製法が世界に広がっていきました。 日本では、コウゾやミツマタ、ガンピ等の樹皮から漉きあげる和紙が各地で作られてきました。

木材からパルプが作られるようになったのは、19世紀以降です。 日本でも明治期以降、洋紙製造が盛んに行われるようになりました。

今日、新聞紙や雑誌をはじめとする印刷・情報用紙、段ボールや紙袋等の包装資材、紙容器、ティッシュペーパーや紙おむつ等の衛生用品など、 紙は日常生活に欠かせません。 紙と樹脂を組み合わせることで、プリント配線基板や機械部品に加工されるなど、用途も多岐にわたっています。

紙・パルプの原料は、最初は針葉樹であったが、第二次世界大戦後は針葉樹とともに広葉樹も多く利用されるようになりました。 森林から立木を伐採し丸太を生産する際には、全てが製材用材になるわけではなく、 太さや形質の点で製材用に向かない丸太もでてきます。 こうした低質材や製材工場の残材、廃材等がチップ化されてパルプ用原料とされてきました。 また、回収された古紙もパルプ原料とされているほか、近年はパルプ原料の海外への依存が高まっています。


〔参考文献・出典〕
林野庁ホームページ/太田猛彦「日本の森の変遷 - 荒廃から復活へ」/財団法人日本木材総合情報センター 全国木材協同組合連合会「人と環境にやさしい木のはなし」


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