「森を守り、育てていく仕組み」を生み出し、後世に受け継ぐことで、持続的に鎮守の森が維持されてきました。
日本人は古来より、入ることの困難な高くて大きな山(奥山や大きな森)には神が降り、神が宿る場所と考えてきました。それを物語るように多くの山には神社があります。神社のない山を見つけることの方が難しいかも知れません。
雄大な山の姿や噴火などの火山活動に畏怖の念を抱き、また、山(森)は生活に必要な水を供給したり、狩猟の場となったり、鉱物が産出されたり、林業(木材生産)の場となったり、人々に計り知れない恵みをもたらしてくれることから、山や森は信仰の対象になったようです。
標高1982m、西日本最高峰の石鎚山。
山頂付近には神社がある/写真:絶景.com
※2013年6月22日、富士山が世界文化遺産に登録されました。「日本」と「日本の文化」を象徴する山であること、古来より信仰の対象して崇拝されてきたこと、様々な芸術の源泉になってきたことなどが認められました。世界文化遺産の登録名称は「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」です。
ところで、日本各地には人里近くに神社や御神木と呼ばれる大きな木を囲むようにして、こんもりとした大小の森が多くあります。それは「鎮守の森」と呼ばれる場所です。人々は、奥山の神様がときどき人里に降りてくると考えており、その神様を迎える場所として、小高い場所に木を植えて森を育てたと言われています。かつて鎮守の森は、地域のどこからでも見える村のシンボル的な存在であったようです。
鎮守の森(秋田県
鎮守と言えば、唱歌「村の鎮守の神様の~」の一節を思い起こされる方も多いと思います。つまり、鎮守の森は地域(村)を守って(鎮守して)くださる神様が降りてくる森。鎮守の森が元気であれば、神様が来てくれるが、人々が世話をせずに森が荒れると神様が村を護ってくれなくなると考えられていました。そして、人々は間伐したり、弱った木を伐るなど、協力して手入れをして、森を守り育てました。手入れの結果、鎮守の森から出た材や薪は、お祭りのために使われました。社殿などを建て替える材も鎮守の森から出た材でまかないました。
人々は鎮守の森に木を植えて、育て、手入れをする行為、そして、鎮守の森から生まれたものは、間伐材でも、小さな枝でも無駄なく、徹底的に使い尽くすことにより信仰を表していたようです。「森を守り、育てていく仕組み」を生み出し、後世に受け継ぐことで、持続的に鎮守の森が維持されてきました。
今の日本の森林を見ると、手入れが行き届かず、荒廃していたり、間伐をしても、間伐材がその場に放置されるいわゆる「伐り捨て間伐」が少なくないようです。主に経済面を優先せざるを得ない状況のもと「森を守り、育てていく仕組み」が失われつつあるようです。
日本は森に囲まれており、森林率が世界3位の森林大国。私たち日本人は森に恵まれています。美しく、豊かな森を後世に残していくためには、「森を守り、育てていく仕組み」について現代にふさわしい形を考えながら、築いていくことが大切でしょう。
失われつつ森との関係を取り戻すためは、林業に従事する人々や山村の人々だけではなく、木を利用する人たちも日本の森を意識し、行動することが大切だと思います。その第一歩として、例えば、身近にある鎮守の森や里山に出かけて、森を歩き、理解を深めたり、手入れを手伝ってみたりすると良いと思います。鎮守の森は、身近にあり、子どもから大人まで、森と出会い、森を体験する場所としてもふさわしいと思います。
時には、大きな森を歩いて、日本の森の美しさや森から享受している恩恵などを考えることも、森への理解を深めることに繋がるでしょう。
さらには、森の恵みを感じるようなことを生活の一部に取り入れること。例えば、キノコや木の実を食べてみたり、木製の器や箸を使ってみたり、家具を購入するときには木製の家具にしてみるなど、これらも、森との関わりと理解を深めるためのよい機会となるでしょう。