日本人に親しまれている「松(マツ)」

松(マツ)は、杉や桧(ヒノキ)と同じように、古くから、私たち日本人の生活の中で共に生きてきた樹種で、親しみのある樹木です。日本では「松竹梅」に表現されるように最上級の木であり、おめでたい木とされています。正月には、家の門に門松を置き、神を出迎えます。日本には、松の付く地名や名前が多くありますし、身近な庭園や公園、ガーデニング、盆栽などでもお馴染みの木です。また、白砂青松(はくしゃせいしょう)とよばれる美しい景勝地をつくったり、強風による海岸の風砂や塩害から私たちの生活を守ったりしています。さらに、材や松脂は多種多様な用途で利用されており、マツは日本人の精神や生活を支えてきた樹種といえるでしょう。

01/09

日本でみかける松

実は「マツ(松)」という樹種はなく、日本で見かける松は、「アカマツ(赤松)」、「クロマツ(黒松)」、「ゴヨウマツ(五葉松)」、「ヒメコマツ(姫小松)」、「ハイマツ(這松)」、「リュウキュウマツ(琉球松)」、「ヤクタネゴヨウ(屋久種子五葉)」、「チョウセンゴヨウ(朝鮮五葉)」の8種(マツ科マツ属)と分類上の属は違いますが、同じマツ科の「トドマツ(椴松)」「エゾマツ(蝦夷松)※」「カラマツ(唐松)」などがあります。

※エゾマツは、クロエゾマツとアカエゾマツの総称。

中でも、「クロマツ(黒松)」と「アカマツ(赤松)」は本州北部から九州、屋久島まで生育し、私たちにとって身近な松といえるでしょう。

02/09

クロマツ(黒松)とアカマツ(赤松)の違い

クロマツは、幹が黒っぽくゴツゴツして見えます。葉は鋭く尖っていて、触ると痛いです。もともと海岸近くに生育しており、塩風に強い樹種です。枝も太く、風雪にもよく耐えます。そのため、砂防林として、海岸の砂浜に植栽されてきました。クロマツは「オトコマツ(男松)」とか「オマツ(雄松)」と呼ばれることがあります。

アカマツは、その名のとおり、幹が赤みを帯びて見え(赤っぽい薄茶色)、高齢木になると、樹皮が剥がれ、さらに赤くなります。真っ直ぐに伸びるものが多く、私たちの身の回りでよく見かけます。葉の先は尖っていますが、細くて柔らかいので、触ってもクロマツほど痛くはありません。成長は早く1年で1メートル以上も伸びることもあります。また、山火事や伐採された裸地でよく育つため「パイオニア樹種」とも呼ばれます。アカマツの林は松茸が生える林として知られています。アカマツは「オンナマツ(女松)」とか「メマツ(雌松)」と呼ばれることがあります。

03/09

民家や畑を守る海岸の松林「白砂青松」

松原の海岸

美しい松原の海岸を「白砂青松(はくしゃせいしょう)」とよんでいます(愛媛県/来島海峡)

松原が海岸に多く見られるのは、砂防林(防風林)として人々が海岸に植林したからです。これらの松林は、江戸時代より長い年月を経て植林され、人々の努力のもとで育てられ、今日に至っています。

ところで海水のしぶきが強風で吹き上げられて、樹木の葉に塩分が付着すると、大抵の植物は枯れてしまいます。そのため、海辺では、塩害に強い限られた樹木だけが育つことができます。塩害に強い樹木として、針葉樹のクロマツの他、広葉樹のウバメガシ、タブノキ、ウラジロガシ、トベラ、シャリンバイなどが挙げられます。特に、クロマツは海岸の最前線に生育している場合も多く見受けられます。クロマツは貧土壌でも、常に塩風にさらされるような過酷な海岸の環境でも生育できる強さを持っているのです。マツが養分や水分がほとんど無いような砂浜(貧土壌)でも育つ理由として、マツの根のまわりをマツタケなどのキノコ類が菌根を作り、菌糸が水分や養分を集めてくれるためといわれています。

防風林や砂防林が作られる以前は、海岸砂丘の砂が強風で運ばれ、しばしば、民家や畑が砂で埋めつくされてしまうこともあり、住民は苦しんでいました。そこで人々は、樹木を植えて、根が張れば飛砂を防ぎ、林ができれば風を弱めてくれると考え、植林を計画しました。この目的に最もかなう樹種はクロマツでした。クロマツは塩害に強く、砂浜などの痩せた土地でも育つことができます。さらに、葉は細いので強風に逆らわず、風を弱めるとともに、飛砂を地面に落とすことができるからです。

人々は植林を始めました。しかし、いくら海辺の過酷な環境に強いクロマツでも、小さな苗木が水分や養分の少ない砂浜で根付くことは難しいことでした。 少しの風で苗木が砂に埋もれてしまったり、枯れてしまうこともありました。 そのたびに人々は苗を植えなおし、竹(タケ)や葦(ヨシ)で防風垣を作ったり、砂ができるだけ飛ばないように固めたり、苗木を植えた砂の表面にわらを敷いて、水を運んで撒いてやるなど、大変苦労しながら育てました。

クロマツの苗木は毎年、上に伸びる枝を1本と横に広がる数本の枝を伸ばします。強風や塩風の影響で上に伸びるはずの枝が枯れてしまうこともあります。そのようなときには、横に伸びた枝の先から上に伸びる枝が生えてきます。それでもまた枯れて・・・を繰り返しているので、なかなか上に伸びることができません。そのため、20年経っても人の背丈にも満たないクロマツもあるようです。

えびす浜(岩手県大船渡市)

後方の松ほど背丈が高くなる

松林では、風を直接受ける前面のマツが最も過酷な環境ですが、その後ろのマツは最前面のマツに守られ、育ちやすくなります。さらに後ろに植えられたマツはもっと育ちやすくなり、陸に入るにしたがって背丈が高くなります。そのため、海岸の松林は最前面のマツの背丈が最も低く、後ろほど背丈が高くなっていることが多いようです。こうしてできた松林は「砂防林」とよばれます。砂防林は林野庁管轄の森林管理署をはじめ、地方公共団体、民間の団体により、管理され、人々の生活が守られています。

白い砂浜に青々とした松がそびえている風景は「白砂青松(はくしゃせいしょう)」と呼ばれます。日本でも美しいこの風景は、先人たちが長い時間をかけて、苦労してつくった風景なのです。

04/09

被災地 海岸林再生プロジェクト

白浜にクロマツの並ぶ美しい風景の写真

白浜にクロマツの並ぶ美しい風景を取り戻すことを復興の目標とシンボルとしたい(宮城県名取市/写真:OISCA 2012年4月号)


押し寄せた津波は、途方もない範囲で海岸のクロマツをなぎ倒し、子どもの頃から親しんだ、ふるさとの景色を奪いました。

およそ400年前から、仙台平野一帯では海岸林が造成され、飛砂や塩害、強風や高潮から人々を守るとともに、荒廃地を農地へと変えてきました。しかし、東日本大震災による津波により、被災地全域で約3600haの海岸林が被害を受けました。

「クロマツお助け隊」と名づけられた海岸林再生プロジェクトは、10年計画で被災地住民の有志による苗木生産グループが約50万本のクロマツの苗木を育てるというものです。その根底には、ふるさとの白浜にクロマツの並ぶ美しい風景を取り戻すことを復興の目標とシンボルにしたいという地元住民の願いがあります。


〔出典〕
記事:林野庁情報誌「林野」平成24年4月号/写真:公益財団法人オイスカ

05/09

日本独特の景勝地をつくるマツ

マツは海岸や湖沼の景観を引き立て、日本各地の景勝地・名勝地をつくる主役となっているようです。アカマツは姿が美しいことから、身近な公園等に植えられますが、クロマツは曲がりくねった樹幹が海岸の砂浜や岩礁との相性がよく、海岸の風景を引き立てます。日本には、古くから名松とよばれるマツや景勝地となっている松原が多くあります。

風の松原 秋田県能代市

風の松原の写真

風の松原

海岸沿いに連なる砂防林で、厳しい海風による飛砂を防ぐために江戸時代から植栽が続けられ、今も能代の人々の生活を守り続けています。日本最大の規模の松林(東西:1km、南北:14km、面積:760ha)で、約700万本のマツが植えられています。「21世紀に残したい日本の自然100選」、「21世紀に引き継ぎしたい日本の白砂青松100選」、「日本の音風景100選」などに選ばれています。

お宮の松 静岡県熱海海岸

お宮の松の写真

お宮の松

明治30年より6年間「読売新聞」に連載された尾崎紅葉の「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の間貫一とお宮の別れの場面の舞台になったといわれています。その側には「貫一・お宮の像」も建っており、オルゴールが流れてきます。

美保の松原 静岡県

美保の松原の写真

美保の松原

約7kmの海岸線に5万4千本の松が茂る三大松原のひとつ。波打ち際から望む富士山は圧巻。御穂神社から南に続くの参道「神の道」の先には、天女伝説の「羽衣の松」があります。

相生の松 全国

相生の松の写真

兵庫県高砂神社の相生松

黒松(雄松)と赤松(雌松)の幹が途中で合わさったもので、夫婦の契りの深さにたとえられています。兵庫県高砂神社の相生松は、謡曲「高砂」で知られています。

6代目弁慶松和歌山県

弁慶松の写真

弁慶松

文治5(1189)年、武蔵坊弁慶は奧州衣川で義経を守り壮烈な立ち往生を遂げました。これを聞いた田辺の人々は弁慶の死を悼んで、弁慶生誕の地(産湯の井戸の傍ら)に松を植えたと伝えられています。初代弁慶松は安土桃山(天正)時代に、上野山築城にあたり用材に使われましたが、古蹟復旧を重んじた紀州藩士により復活され、五代にわたりこの地に植えつがれてきました。田辺市片町にあった5代目弁慶松は昭和50(1975)年に枯死しましたが、5代目の種子から育てられていた6代目弁慶松を田辺市役所前に植えて、順調に成長しています。

気比の松原 福井県

 

三保の松原、虹の松原と並ぶ.日本三大松原のひとつ。普段は静かでひっそりとした場所で日本海の荒波ともあいまった壮麗な風景となっています。冬には松林一体が雪化粧されて美しい。

築地松 出雲地方

 

出雲地方の民家の北西に防風林として植えられています。厳しい冬の季節風から屋敷を守ります。主に黒松が植えられており、出雲地方独特の景観をつくっています。

関の五本松 島根県松江市美保関町

関の五本松の写真

関の五本松

かつて、美保関の港に近い山の上に生育していたクロマツの巨木5本のことで、人々は「関の五本松」と愛称で呼んでいました。昔、船頭や漁師たちのたちが入港の目印としていました。後に大名行列の邪魔になると一本が伐られました。残った4本のマツは1943(昭和18)年に国の天然記念物に指定されましたが、台風などの気象災害で倒伏が相次いで1本にまで減少してしまいました。このため、1971年(昭和46)年に指定解除となりました。その後、残りの1本も伐採されてしまい、「関の五本松」は幻の五本松となってしまいました。この松を後世に残したいという気持ちが民謡「関の五本松」になったといわれています。

虹の松原 佐賀県唐津港

虹の松原の写真

虹の松原

長さ約5kmにわたる弧状の黒松林。多くの観光客が訪れ、両側から張り出した松の枝によって造られた自然のトンネルも、多くの人から絶賛を受けています。日本の白砂青松100選、日本の渚百選、かおり風景100選、日本の道100選にも選ばれています。

06/09

香ばしい香りの松茸

松茸の写真

マツ林の松の葉が使われなくなり、松茸が生育環境に適さなくなってきています

松茸は主に栄養分の少ないアカマツ林などに生育するといわれます。マツタケは独特の香ばしい香りがあり、食用として珍重され、日本独特の食文化の一端を担っています。昭和30年代の燃料革命の前までは、マツ林のマツの落ち葉は集められ、炊きつけなどの燃料に使われていました。しかし、最近はマツの葉も使われなくなり、マツ林の落ち葉が多くなり、富栄養化してマツタケの生育環境に適さなくなりました。その結果、マツタケはますます珍重されるようになったといわれています。また、クロマツ林にも、食用キノコとして珍重される「ショウロ」があります。

07/09

多種多様な用途がある「松脂」

松の幹に傷を付けると、そこから松脂(マツヤニ)が流出してきます。マツにとっては、傷の消毒と修復の役割の担っていると言われています。

一方、人間にとっては、さまざまな用途があります。 松脂ロウソクはハゼノキから作られるロウソクが普及するまで、よく使われていました。タイマツは屋外の重要な照明でした。松脂を多く含む松材を燃やしたときにできる「すす(松煙)」をニカワ(ゼラチン)を使ってこねあげたものが書道や書画の「墨」です。松煙でつくられた墨は、青みがかった色が出るため墨絵の画材としては高級品です。 松脂が固形物になったものは、ロジンと呼ばれます。ロジンは紙を作るときのにじみ止め剤としての役割を担っています。他にも、接着剤(強力ボンド)、絆創膏の粘着剤、香水、しゃぼんだま、車の塗料、靴墨、朱肉、マッチ、せっけん、口紅、ガム、滑り止め、合成ゴム、バイオリンの弓、野球のピッチャーが使うロジンバックなど、松脂は他の樹木の成分には見られないほど多くの用途に利用されています。

08/09

心身の健康維持に役立つマツの成分

樹木の揮発成分は一般に心身の健康維持に役立つことが多いのですが、マツも例外ではありません。
例えば、マツの樹皮には、多くのポリフェノール類が含まれています。ポリフェノール類は老化やガン、動脈硬化の原因とされている活性酸素などの物質から身体を守る物質(抗酸化物質)です。海外では健康を維持する商品として市販されています。日本での主な活用事例は次のとおりです。

樹種 効能 信憑性
アカマツの松葉 お茶として飲むと、コルステロールを減らし、心筋梗塞、高血圧の予防。 民間伝承
アカマツ松葉酒 貧血、不眠症の予防。 民間伝承
クロマツの葉 血圧を下げる、咳止め、痰を取り去る作用。 民間伝承
マツヤニの成分
(アビエチン酸及び誘導体)
抗炎症効果、抗菌作用、抗歯周病、血中糖濃度低下作用、血中コレステロール低下作用、抗潰瘍作用。 科学的解明
マツの香り成分
(α-ピネン)
α-ピネンを漂わせて部屋で睡眠をとると、疲労回復が早く、仕事でミスタイプが減る。マウスの運動量が増加。 科学的解明
09/09

私たちの生活を支える松(マツ)

マツと日本人は遥か古より深い関係にあり、奈良時代から松明(たいまつ)として照明に使われてきました。平安時代には、貴族たちが雅(みやび)なしきたりとして、松の折り枝を贈り物や文に結んでいました。今でもお祝いの祝儀袋には、マツをイメージした飾り(水引飾り)が結ばれています。また、日本のお城には、必ずといっていいほどマツが植えられています。江戸時代からは砂防林として人々の暮らしを守り、美しい景観をつくってきました。飢饉のときには、マツの皮を食べて飢えをしのいでいたそうです。近年では、加工技術の進歩とともに日用品をはじめ、食用、薬用など多種多様な用途で使われるようになりました。マツは他の樹種では代替できないほど、さまざまな面で、私たちの生活を支え、日本人の文化をつくりあげてきたのです。


〔参考文献・出典〕
東北観光推進機構/熱海市観光協会/弁慶松の説明看板/能代市ホームページ/静岡観光コンベンション協会/「文化を育んできた木の香り」(谷田貝光克/フレグランスジャーナル社)/新建新聞社「木の文化3 マツ・カラマツ」株式会社理論社「日本の風景 松」/wikipedia


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