里山

里山の風景

奥山は神の領域、里山は人の領域

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里山と奥山

里山とは、人里近くにあり、昔から人々が生活のために利用してきた山(森林)のことです。里山に対して、人があまり入り込まないような深い山奥を「奥山」と言い、神が棲むところと考えられていました。

最近では、人と自然(山や森、田畑など)が共存している地域を「里山」と呼ぶようになりました。 なお、「山里」とは、山奥にある人が住んでいる地域(集落や農村)のことです。

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里山は人の手によってつくられた2次林

原生林を切り開き、生活に必要な木に植え替えるなど、人々が利用しやすいように変えてきた森(2次林)が「里山」です。コナラ、クヌギ、ミズナラ、ケヤキなどの落葉広葉樹、シイ・カシ類などの常緑広葉樹、柿や竹などさまざまな樹種が植えられています。かつての里山では、さかんにキノコや山菜などの栽培がされていました。

適切に手入れされている里山の周辺には人間の手によって田や畑、用水池などが作られるとともに、昆虫や小動物などが集まって、人と共生した豊かな生態系が形成されます。里山は、原生林など手つかずの自然におおわれた未開の大自然ではなく、人の手が適切に入った自然です。それが、動植物の生息にとって、好都合になっているようです。日本の里山は、生物多様性を生むとして、生物多様性条約第10回締結国会議(CDP10、2010年)でも話題になりました。

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かつての里山の役割

農村近くにある里山では、昔から落葉や下草の採取が行われてきました。これらは堆肥の原料として用いられたり、家畜舎で用いられた後、厩肥(※)とするなど、良質の有機肥料がつくられました。

また、里山から採れる薪や柴は大切な燃料(熱エネルギー源)となりました。これらを燃やした後に残る木灰には、リンやカリなどを含んだ無機肥料となり、農地に施されました。現在もこのように使われている里山も各地で見られます。

※厩肥(きゅうひ)…家畜の糞尿(ふんにょう)や敷わら・草などを混ぜて腐らせた有機質肥料。堆肥とともに重要な自給肥料で、地力を保つために使われる。

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里山の価値喪失

昭和30年代には化学肥料が急速に普及し、同じ時期に燃料革命も起こりました。落葉や下草から作っていた堆肥の代わりに、化学肥料が使われるようになり、薪や柴などの代わりに石油などの化石燃料が使われるようになったのです。これまで人々の生活に不可欠であった里山は、急速にその価値を失ってしまいました。

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里山の開発

1960年~70年代(昭和30年~40年頃)の高度経済成長期には、里山は開発の対象となりました。ニュータウン(千里・泉北・高蔵寺・港北・多摩・千葉など)と呼ばれる住宅地やゴルフ場やスキー場に変わったのです。残された里山は放置され、荒廃が進み、さらにはゴミの不法投棄なども発生し、社会問題・環境保全問題となりました。日本の原風景ともいえる里山が失われつつありました。

参考:1960~70年代に入居が始まったニュータウン

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里山の新たな価値

しかし、近年の都市化と過疎化の中で、里山は都市と山村の交流の場として見直されてきています。そして、各地で里山を復活させる動きが活発になってきました。里山の再生とともに、動植物とのふれあいや自然の学習など、里山を子どもたちの環境教育の場として活用したり、炭焼き体験やキャンプ、トレッキングなど森林レクリエーションの場とするケースも増えてきています。このように里山はかつてとは違う新しい価値を持ち始めています。


〔参考文献・出典〕
新建新聞社 日本の原点シリーズ「木の文化」 /社団法人日本林業技術協会「里山を考える101のヒント」


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